島田の見どころ(お茶を中心に)
栄西禅師像
2009年7月27日、JR島田駅前北口広場に建立された栄西禅師の銅像です。
栄西禅師は、宋の国(現在の中国)よりお茶の種を持ち帰り、「喫茶養生記」を著しお茶の効用を説いた。日本にお茶を飲む習慣を広めた功績により「茶祖」と呼ばれる。
右手にはお茶の種、左手にはお茶の苗を持っておられます。
島田大祭 (帯まつり)
元禄8年(1695)より続く3年に一度 (寅、巳、申、亥の年) の10月中旬に開催される島田大祭。
美しい帯を太刀にかけ、大奴が優雅に行列することから「帯まつり」とも呼ばれます。この他行列には、大名行列、各町内の屋台、鹿島踊りなどが加わり、元禄絵巻を再現します。
島田髷(まげ)まつり
島田髷は、江戸時代の女性の代表的な髪型の総称です。 島田髷については諸説があり定かではありませんが、島田出身の大磯の遊女「虎御前」が考案して結ったのが始まりと伝えられています。
昭和8年9月19日に虎御前感謝祭が行われ、以来、毎年9月第3日曜日に「島田髷まつり」として開催されてきました。
様々な型の島田髷を結い、揃いの浴衣を着た約60名の髷娘達が奉納踊りをしながら市内を歩く「島田髷道中」の後、鵜田寺にて髪供養感謝祭が行われます

蓬莱橋
明治12年、牧之原開墾者の共同出資により農業用の仮橋として誕生しました。
開墾に携わる人は無料、その他の人は五厘を払って渡る賃取り橋で、主に農具を背負った開墾者や茶摘みの人たちが利用していました。やがて、両岸を結ぶ住民の生活路となり、今日では歩行者と自転車のみが通行できる賃取り橋として観光名所になっています。
全長897.4m、全幅2.4mで世界一長い木造歩道橋としてギネス社の認定を受けています。
中條金之助景昭の像
1827年(文政10年)江戸で幕臣の長男として生まれた中條景昭は、剣をとっては、一刀正伝無刀流を編み出すほどの達人でした。最後の将軍徳川慶喜を護衛する精鋭隊隊長として仕えます。
幕府崩壊後、新番組(精鋭隊を改称)の士族を率いて、牧之原開墾の指導にあたりました。1896年(明治29年)没。牧之原を大茶園として礎をなしたことを後世に伝える像は富士山を背景にした景勝地にあります。
ばらの丘公園
島田は、全国有数のバラの産地でもあり、その品質は全国で高い評価を得ています。
世界各地を原産とする350種類8700株のばらがお迎えします。
四季を通してさまざまなバラの表情をお楽しみください。
博物館
島田宿は、川越しを待つ旅人や川留めにあった旅人たちで大変賑わっていました。ここでは、昔の旅人たちがどのように旅をしていたかをテーマに江戸時代後期の大井川や島田宿、川越しの様子をジオラマビジョンで分かりやすく展示しています。
大井川川越遺跡
江戸時代、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていました。その川越しの料金所(川会所)や人足の待合所(番宿)などの風景を再現しています。また、街道筋には川越茶屋があり、そばなどの味覚が楽しめます。
おせん女踊り
この踊りは、昔この地で一文商いをしながら機を降り、旅人に湯茶の接待をした器量のよい娘「おせん」を表現したものだといわれております。
宝暦(西暦1751 〜1764 年)のころから伝えられ、本来、「鳥追い笠に角帯姿の着流し」の歌・笛・太鼓が奏でる中で、「花笠に振袖姿」の女装をした男性の踊り手が、雅びに舞を披露していました。
現在は、小学生の女の子が踊りを受け継いで、かわいらしい踊りを披露しています。
猿 舞
東光寺日吉神社の祭典の際に行われる民俗芸能です。寺が平安初期の創建であることから、その猿舞は古く日本的舞楽の流れをくむものと思われます。子供が面をつけて舞うのは、日吉神社の神使いをされる猿を芸能化したものと言い伝えられています。
千葉山智満寺
(写真:智満寺本堂)